点子がゆく

映画や自転車や温泉の話をするブログです。

親は死なないと思っていた

超高齢者になっても、癌の末期と言われても、歩くのがやっとでも
親はずっとそばにいてくれる。親は死なないと思っていた。
会いたくなったらいつでも実家にいてくれる存在だと思っていた。
誰がなんといっても、親は死なないと思っていた。
お医者さんからあと数ヶ月かもしれた言われても、現実みを感じていなかった。
何度も「危ない」と言われながらも
ずっと逆転勝ちしてた父が死ぬなんて考えられなかった。
亡くなる直前
「この週末が危ない、そばにいてあげてください」
と医師から告げられた日、大好きだったビールを口腔ケアのスポンジで唇に湿らした時のうれしそうな父の顔。その時にはもう「おいしい」とは口に出して言えなかった。
でも、「あんなことあったね」って、
そう言えるんじゃないかと期待していた。
いつかはみんな死んでしまうと
頭でわかっていても、どうしても受け入れられない自分がいた。
「親の死」=「もう会えない」→「忘れてしまうと」
いつでも会えることで、親のことをあれやこれや考えられるが、死んでしまって会えなくなると、いずれ忘れてしまうのではないか。
親のことを忘れることが怖かった。
親が死んでも、私が親の子である事実は消えない。
親から愛してもらったことや大切にされてきたこと、一緒に過ごしてきた日々は私の中には残っている。
でもヒトはいずれ忘れてしまうということを自分の経験からわかっている私は、目の前にその人がいなくなることで
忘れていくであろう自分が怖かった。
子どもの頃は絶対的存在である親は
怖い存在であり、疎ましくもあった。
人生の岐路で親の考えや希望を押し付けることはなかった。
振り返ると、いつも私の夢や希望を見守ってくれた。
こんな存在は親だか。
本当に幸せな子どもだった。
親が私にしたくれたことと同じようなことを自分ができるか?
いやいや難しい、やりたいけど、我が子に申し訳ないが、物理的にも精神的にも度量がない。
不甲斐ない親で、ごめんなさい。

最後の入院中、毎日病院に見舞いに行き、仕事や家事に追われる中、ふーと心に浮かんだ。
「おとうさん、おかあさんの子でよかった」
父や母の子で生まれて、今の私でいれてありがたいことだ。

あんなに親を忘れてしまうことを恐れていたが、今も親のことを考えない日はない。
ケアしていた時は切羽詰まった現実があったから、考えたり悩んだり、ケアマネさんに電話する時間はたりないくらいだった。
あの頃と比べると考える時間が減ってきたり、少しずつ記憶が薄れてきた。細部が思いだせないこともある。
でも  そんな現実を受け入れてきている自分がいる。
そんな風に忘れたり様々なことを
「まあ、いいか」
と思えるなんて、私もちよっとは大人になってきたかなぁ。