人生の終末期をどこで迎えるか
点子はできれば、自宅で自由、気まま、ワガママに最期を迎えたい。
でも、身体の自由が利かなくなったり、自覚しなくても生活に支障がでるほど認知機能が低下したりすれば、一人では生きていけない。
介護制度のサービスをフルに利用する手もある。
いったい幾らかかるかは、その時の介護度とサービスの量で金額がでる。
動けなくなっても、お金があれば介護保険だけで足りなくても、実費でフルに家政婦さんを雇うこともできる。
看護師さんだって雇えれば、より安心だ。
いざ困ったら、訪問医療でお医者さんに来てもらうともっと安心。
そうなんだ、お金があれば自分家(じぶんち)で、最期をむかえられる。
あと、理解あって、情報網が広いケアマネさんがいると心強い。
ある医師に、親の在宅医療をお願いしたら、キーパーソンが一人という理由で断られた。
そんなのありえない。キーパーソンが一人。でもいるだけましじやない。
結局、体調が悪い時は看護師さんを連れていなくても一人で来てくれる、お医者さんに頼んだ。
独居老人で身寄りが猫だけだが、ケアマネさんと在宅医療の医師やスタッフが団結して、家で看取られた方もいる。
大切にしていた猫とできるだけ一緒にいることを本人が望んでいるだろうからとケアプランをたてたらしい。
主治医は患者さんが亡くなった後、猫の引き取り手を探してくれたと聞いた。
当事者がどういう死に方を選ぶか?
どこで死にたいか?
何を望んでいるのか?
例え当事者が認知機能が低下しても、
ケアマネに中心に想像してみて。
一人ひとり望みは違うんだから。
センスあるプランをたててほしい。
いつかはくる終末期。
親の介護、看取りをして自分の時、連れ合いの時にどうするか?
考えるきっかけをいただいた。
朝ラン?朝ウォーキング?の時に撮った今朝の日の出。
以前よりも日の出がおそくなりました。