点子がゆく

映画や自転車や温泉の話をするブログです。

親は死なないと思った②

初盆が過ぎ、お墓の手配もし、少し落ち着いた。
後は秋に一周忌と納骨をすればいい。
親の介護、親の死     
はしめてだらけでした。
一緒に住んでないが、歩いて10分もかからぬ距離にいて、一人っ子。
両親は共に80歳を超え、老老介護
癌をあちこちに持っていたが、小康状態。
10年位前、12月に圧迫骨折したときは、リハビリが進まず、業を煮やした私は見舞いのたびに歩かせていた。
若いリハビリスタッフの言うことは聞かないが、娘の言うことは聞いてくれた。
身体を捻らないように、寝返りさせ、足をベッドから降ろし、柵を持って肩肘で押さえながら、ベッドに座らせる。
すると
「立って」
と  言うと、柵をもって、立ち上がることができた。
個室でトイレが目の前なので、壁などにつたいながら、一緒にトイレに行けた。
つたい歩きやサークルでの廊下歩行と行った。
はじめは個室の中で
「勝手なことをして、何かあったら大変」そうならないように、
看護師さんに話しながら、サークルを借りてきて廊下を歩かせた。
親の介護をしつつ、自分がOTでよかったと何度も思った。
リハビリスタッフに申し訳ないなぁ、でも  家族ができるんだから、スタッフさんも頑張って欲しかった。
ぼけてくると理性よりも感情が勝つ、頑固な年寄りにリハビリをするのは難しいとわかっているが、家族としては
「頼みますよ」「お願いします」「私ができるだから」「プロだよね(すみません)」
自分がリハビリしてて、リハビリが進まない方を    
「意欲がない」
と   平気で言っていたことを反省します。
家の状況(寝室が二階)やリハビリの進み具合を見せてもらうが、厳しいと判断した。
正月は自宅で過ごしてもらいたいのと、付き添う母のために、一カ月せずに退院させてもらった。
認知の入りかけた父の世話で入院は常に個室で母が付き添っていた。

寝室は一階にし、玄関の3段とベッドからの起き上がり、室内は手引きかつたいの歩行、デイケアに行くときはスタッフの手引きかT字杖歩行にした。
この頃から、老親に関わるようになった。
と  いってもフルの仕事を持って、家庭があり、やりたいこと、やらねばならぬことがたくさんある私にできることはしれていた。