点子がゆく

映画や自転車や温泉の話をするブログです。

認知症の親と向き合う

親が近くに住んでいる。独居である。
最近、短期記憶がわるく、それがもとでイライラさせられる。
歩けるし、普通の生活をがどうにか1人でずっていってる。
近くと言っても、歩くと10分位だと
毎日行けない。
通院や法事などの大事なことはカレンダーに書いてもらい、
当日朝に電話して意識付けたり、
一緒に行ったりする。
足腰は丈夫なのだが、時間を間違える可能性があるので、迎えに行く。
先日の法事。
30分前に電話すると、まだ家にいた。
大慌てで送って行った。
来客の痕跡があるが、いつきたかを忘れやすくなった。
メモすることをいうが、習慣付いてないことは、今更入らない。
お金に関することで、困ることがある。
法事の御仏前はこちらがお金を用意し、熨斗の表は書いてもらい、一緒にお金を入れる。
自分ですることで、忘れにくいし、させられ感が少ないと思う。
法事に送って行ったらホッとした。
油断大敵。
翌日訪ねると、法事のお返しの商品券が財布に入っているが、いくらいただいたかわからない?
こちらの法事でいくらお返しすればいいかわからない?
昨日、法事から帰っ頃に帰り着いたか電話したのに。
あの時、商品券がいくらか尋ねればよかった。
腹が立つ。
イライラする。
「ちゃんとメモしないからよ」
「忘れやすいんだから」
もっと酷く辛いことも言った。
「あんたもいずれそうなるよ」
親から言い返された。
わかっているつもりでも腹が立つ。
暴言を吐いてしまう。

明け方トイレに行き、便器に腰掛けると湿っていた。
同居しはじめた舅が粗相したのだ。
怒りよりも気持ち悪さがある。
しょうがないと思える。
義父をうちで暮らしてもらうと決めたからには
まるっと受け入れないといけない。
耳の遠い舅も湿った便座カバーも。
そんな気持ちがどこかにある。
実親と違いお互い遠慮もある。

実親は感情がストレートにいく。
しっかりしていた人だから、その面影が拭えない。
認知症というものが仲間入れしても、
やはり、私には親{しっかりして、自分よりもすごい存在)は親。

舅の濡れた便座カバーみたいに、認知もまるっと受け入れたら楽になるのにね。