裸足の季節
映画は自分の知らない世界を見せてくれる。
世界は広いことを教えてくれる。
と同時に映像の持つ力を示してくれる。
舞台はトルコ。
トルコと言えばシシカバブとかきれいなスリッパ?とか親日派ぐらいしか知らない。
男の子も女の子も一緒になり海岸で騎馬戦みたいな遊びをする。
国が違えども若者が無邪気で明るいのは変わらない。
両親を亡くした明るい現代っ子の5人姉妹。
祖母に育てられ叔父が家族を牛耳っている。
祖母は1人で懸命に彼女たちを育ててきたのであろう。
ただ祖母の価値観では、自分の存命中に5人を彼女たちの将来を考えて、
花嫁修行→見合い→結婚への道を歩ませる。
悪い虫がつかないように、自宅待機させる。
💻や電話など
外からの情報をシャットアウトする。
でも、5人いれば心強い。
若いエネルギーがありあまった5人が太もも丸出しで折り重なるように、戯れる姿はピチピチして眩しい。
生きてるって感じさせる場面だ。
まるで若さのエネルギーの塊のようだ。
自分の常識で考えられない社会もある。
自分の意思に関係なく、女は商品のように嫁がされる。それも処女というブランドがないと価値がない。
病院で処女証明をしてもらう叔父。
初夜ではシーツに出血を確かめる婿の家族。
出血してないなら、夜中であろうが病院に連れて行く。
人権なんてない。
結婚を決めるのは親。
「息子に代わって、結婚を申し込みます。」
そう、男の父親は言う。
長女、次女まとめてお買い上げ的なノリで合同結婚式をする。
2人片付いたら次は三女。
叔父や祖母は悪人ではない。
叔父や祖母は自分たちがたどった世界が吉と考え、彼女たちに強いることが、彼女たちのしあわせと考えている。
そう考えるのは親族として悪いことではないが、あまりにも短絡的。
彼女たちはもう自由を知っている。
恋愛もしている。
だから自己決定したい。
13歳の末っ子がいざというために車の運転を習い、
いつか何かで・・・・・、担任のイスタンブールの住所のメモを大切にとってあった。
観た、考えた、感じた。
充実した映画でした。