点子がゆく

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ライアンの娘を観ました

デビットリーン監督のライアンの娘を観ました。
アイルランドの厳しい海、荒れ狂う波と限りなく広がる広野。自然の美しさを十分堪能させてくれる映像。ストーリーの展開が早く3時間以上の大作だか飽きずに観ることができた。
人物の目や表情、夫の妄想の中の真っ黄色のドレスのローズ、映像で全て表現してくれるのでとてもわかりやすい映画だった。
足がすくむほどの何層にもなる断崖からローズの花飾りの帽子が舞い上がる。舞い上がる。
ローズの美しい帽子とは裏腹に閑散とした村は貧しく、若者は暇を持て余している。
仕事がない→暇をもてあます、経済的に貧しい→心が荒む→ヒトをイジル、ヒトを妬む
そんな流れが当たり前のように漂う村。
サラ・マイルズ扮するヒロイン、ローズはそんな貧しい村の中では豊かな居酒屋の娘として生まれ育ち、父からは「プリンセス」と呼ばれ、甘やかされ、ワガママいっぱい自己中の娘に育った。
性を意識するようになった娘が選んだ身の振り方は結婚して、性を安定させることだった。
結婚相手はワガママな自分を手のひらで遊ばせてくれるであろう年の離れた、生活の安定している優しく紳士的な教養深い恩師だった。
最愛の妻を亡くした中年の彼に若さ故の無邪気さで、相手の都合もお構えなしでグイグイ押して結婚を迫るローズ。
理性ある中年の学校の先生も若さを充満させたローズの誘惑には勝てず、寂れた町に似つかわしくないほど派手な結婚式を挙げる。
町中の人々が見守る中、初夜の部屋へと向かう二人、なんと気恥ずかしかったであろう。
しかし、初夜に期待する花嫁にとって
中年の夫との性は、愛撫もそこそこで満たされずに直ぐに終わってしまった。
我慢するのが苦手な嫁が、これでは満足できず、夫と心が通わぬ、日々を送っていた。ファーザー(神父)が唱えた結婚の意義の三番目の性の確保はローズにとっては最重要なことだったのだ。
そんな彼女の前に現れたのは英国少佐。男前で憂いを帯びた若き少佐が英国人かどうかなんて彼女には関係なかった。ただ目の前の性的魅力のある男に正直に反応しただけだった。だって彼女はあまりにも自由奔放な人だから。
欲しいものは奪ってでも取る、そんな彼女が相手にお構いなしで夫に求愛した時のように、人妻であることを忘れ、本能のままに行動した。
抑圧された村の人々が自由奔放に生きる彼女を見逃す筈がない。村の人々は彼女をスパイの濡れ衣でリンチし、ズタズタに髪を切ることでうっぷんをはらすしかなかった。
でも本当の密告者はローズの父であった。
父ライアンは反英国で振舞っていた筈なのに、アイルランドの英雄を密告し村人を裏切る偽善者だった。
父の犯した罪の報いを代わりにうけるのが、最愛のプリンセス ローズ。
娘は密告者が父と知り、父はリンチにあう娘を救うこともできずにいることが、父への報いになった。
父の娘への愛も偽善だったのか。
どんなに村人から虐げられようと、夫と並んで堂々とメインストリートを歩くローズはただのワガママプリンセスではなく、自分の意思を持った女性へとなっていった。
ローズみたいな生き方はできないが、あっぱれな生き方だった。
ジョンミルズは言葉が不自由で足の悪い、知的障がいのマイケルそのものだった。さすが、アカデミー賞受賞者。
神父のことをファーザーと言うが、
トレヴァーハワードはファーザーとして村人を導いている姿が印象的だった。