顔のないヒットラーたち
第二次大戦後のドイツでは、アウシュビッツでの惨事が知られていないことには驚いた。
過去を振り返るよりも目の前の輝く未来の方が重きを置かれていた。
しかし、男前の若き検事はそのタブーに挑む。
美しきお顔、「ゲーテの恋」の人でした。
「ゲーテの恋」もよかった。
「ゲーテの恋」は人を愛するとはこんなにも切なく素晴らしいことだと教えてくれた。胸キュン映画でした。
さてと本題に入ろう。
戦争は前線で戦う人は直接手をくだすが、
戦場に行かない人も関与している。
人が人を殺したり、残虐な行為をする。
ごく普通の人が 狂人のように。
ここではアウシュビッツの残虐な映像はでてこない。
収容所に入れられた人々が証言を語る。
再現した映像をがないが、話を聞いた秘書の女の人が、あまりの残虐さに嗚咽して泣く、嘔吐しそうになる映像をみて、観客は残酷さを感じる。
映画は直接的な映像がなくても、観客に訴える すごいというか、おそろしいというか。
映画は毒にも薬にもなるのだ。
収容所にいた知人から聞いた、残虐な医師の行為があまりにも強烈すぎて、主人公の検事は医師を捉えることに躍起になり、スタンドプレーをしてしまう。
収容所に入れられた人の話、真実を知ることで 彼に批判的だった者が仲間として動く。
知ることで人は変わる。
そうして収容所に関与していた多数のひとが逮捕された。
戦争は過去のことでない。
気をつけないと、アウシュビッツの惨事は人の心に存在する。
今の時代だからこそ、忘れてはいけないことだと、肝に銘じた映画でした。